脱サラ元公務員、現在はブルーベリー&パーマカルチャーの農園をやっています 神崎辰哉(かんざきたつや(@ttykanz) )です。
農園の名前は長野県安曇野市、北アルプスの山麓で「ブルーベリーの森あづみの」といいます。
生活していると「批判」あるいは「ジャッジ」というものをに触れることがあり、ちょっと息苦しく感じることはありませんか。
そうは言っても、正直、自分も不安なときなど、安心するために他人に批判的になることがあります。
でも本当は「いいとか悪いとか」決めないほうが幸せだと思っています。
何しろ、心が「平和」です。
今回は、「いいとか悪いとか」にとらわれて、しまった時には・・・というテーマで書いてみました。
息子の懇談会から学んだこと
一年くらい前、息子の懇談会の話を妻から聞いて。
工作が超すごいうまい。絵もすごいうまい。
自分の世界があってすごい(いやなこともはっきり言える)
縄跳びと九九が苦手・・・・
そして、たまに学校休む(一応「病欠」ですが怪しいときもあり・・・・・。)
なるほど、なるほど・・・・
先生は「誰でも疲れて休むときもあるよね~。大丈夫。」みたいな感じだったそうです。
優しい!・・・ありがとうございます。
後に知りましたが、最近は「皆勤賞」を無くしている学校が多いそうです。
ごく一部だと思いますが、病気を押して無理に学校にきたりとか、が問題になったり・・・・
そもそも「学校に休まず行くことがいいこと=休むのが悪いこと」という印象づけを避けることも一つの理由だそうです。
学校も変化してきているなあ・・・と思う父でした。
オトナだって、疲れているときは仕事いきたくないですもんね・・・・
白黒はっきりつけないのが自然
中国の思想家老子の著書「老子」第二章の抜粋です。
天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相和し、前と後相随(したが)う。
(訳)
世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜い事なのだ。同様に善い事を善いと思うが、これは善くない事なのだ。何故ならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、これらは全て相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在できるからだ。
皆が同じものを「美しい」と思えばその反対が「醜い」ということになります。
皆が同じものを「善い」と思えば、その反対が「悪」ということになります。
良いと決めることは、悪いを決めることになります。
ざっくりと言えば・・・
本当は決めらんないのが、一番尊いということでしょうか。
他人に批判的になったときに感じていること
あくまで私のケースですが・・・
農業でも、他のことでも、
いつもうまくいことばかりではなく、失敗したり、迷うことや不安になることもあります。
そして、不安や自信のないとき、落ち込んでいるときほど、他人のやっている方法に批判的になることがあります(実際には言いませんが、心の中で・・・・)
私の場合、そういう感じになっているときは、「今、不安なんだな~」というバロメーターだと思うようにしています。
そういう自分に気が付いたら、とりあえずよく寝て・・・
うまくいっていることも実はたくさんあるはずだから、それをじっくりと思い出してあげることで、なんとか戻ってこれてます(笑)
まとめ
なんだか、私の恥さらしのようでしたが・・・
「自分を認めてあげていられるか」これができていないときにはもれなく、不安になり他人をジャッジしてしまうのではないかと思っています。
自身に満足し、尊重してあげられるから、他人も尊重し、批判ではなく、共存し、楽しむことに集中できるのではないでしょうか。
なるべく自分が好きなことをやりながら、自然に、良い状態に保つのがいいのかもしれませんね。
今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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