「アンチ」への対応~何故他人の足をひっぱる人がいるのか~vol686

脱サラ農業・起業
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脱サラ元公務員、現在はブルーベリー&パーマカルチャーの農園をやっています 神崎辰哉(かんざきたつや(@ttykanz) )です。

農園の名前は長野県安曇野市、北アルプスの山麓で「ブルーベリーの森あづみの」といいます。

有機JAS認証を取得した「オーガニックブルーベリー」を栽培しています。

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自分の取り組みや考え方などを情報発信していると、「クレーマー」や「アンチ」のような人に出くわす場合があります。

これまで情報発信を通じて知りあった方は、皆さん本当いい人ばかりでした。

でも、稀に、せっかく一生懸命やっているのに、

ただの言いがかりのようなこと、持論の押し付けなどを、心無い表現でインターネットを使って、表現してくるような人もいるようです。

「アンチ」というのは、もともと、対抗する、批判するといった意味のようです。

本来、批判というのは、悪いことばかりではなく、いいことも含めて、物事を評価する行為をいいますが、

最近の使われ方ですと、批判は主として否定的な意味になっています。

同様に「アンチコメント」というのは、評価というよりは、

より「悪意のある」「攻撃する意図をもって」、コメントや表現をすることとして使われていることが多いようです。

そのため、この記事では、「アンチ」というのは、悪意をもった表現、あるいはそれをする人という意味で使わせていただきます。

悲しいけど、一定の確率で発生する「アンチ」について、どのように対処するのか、何故アンチが現れるのかについて書いてみました。

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アンチコメントは誰でも起こり得る

世の中には、アンチを作りやすい人というのもたしかに存在します。

過去の事例から、堀江貴文さんやキングコングの西野亮廣さんなどをイメージされる方も多いかもしれません。

カリスマ性があり、発信力があり、賛否両論ある意見を歯に衣着せぬ表現で、率直に発信するタイプの人に多いような気がします。

また、このような人は、輝かしい実績をもっているため、そもそも、注目や嫉妬を受けやすいとも言えます。

しかしながら、ごく普通の人でもインターネット上で、何らかの発信をしていれば、アンチコメントのようなものに遭遇する場合があります。

私も、起業して以来、からずっと情報発信をしてきていますが、アンチに遭遇したことがあります。

ただ、それほど多いわけではなく、わずかに見られる程度です。

アンチは無いにこしたことはありませんが、それだけ、世の中に認知されてきたとも言えるのかもしれません。

まずは、自分の気持ちだけは大切に

どのような経緯があっても、他人から心無い言葉で避難されたりすれば、誰でも傷つきます。

当然、私も傷つきます。

最終的には、「気にしない」としても、最初の悲しい気持ちは、自分自身でしっかりと受け止めることが大切のように思います。

平気なふりはやめた方がいいです。

「悲しかった~」「くやしかった~」という自分の思いはしっかりと受け止めた方が良いと思います。

アンチの人に直接関わることは避けた方がいいですが、自分の気持ちだけは、しっかり受け止めて、

どこかで、しっかりとストレス発散して・・・心を癒して、

自分にとって、もっともっと大切な人間関係の方へ注力しましょう。

アンチへの対応

アンチは基本的には「無視」

まず、アンチは直接的に相手にしない方がいいです。

アンチは基本的に無視します。

自分の気持ちは無視すると苦しいですが、実は、インターネット上のものは無視するのは比較的容易です。

SNSでもコメントを削除したり、非表示、ブロックといった機能が充実してきています。

不特定多数の人が次々とコメント等をする状況でもなければ、特定の人をブロックするのは簡単です。

自分のメディア以外に書き込まれたものであれば、そもそも見ないことができます。

認識しなければ存在していないのと同じです。

アンチコメントを書いた人はお客さんではありませんし、大切にしたい人間関係でもないからです。

そこにエネルギーも時間を使う必要はありません。

また、アンチとなる人はほとんどの場合、自分の中の問題や怒りについて、勝手に他人を巻き込んでいるにすぎません。

アンチコメントを書く人は、特にあなただけにやっているわけではなく、必ず、別の人も同じような対象にしています。

その人の不安・ストレスなど、何らかの怒りを発散したいため、怒りをぶるけるネタをいつも探しています。

相手にしなければ、相手のニーズが満たすことができません。

そして、いつの間にか、どこか別の対象を見つけに行きます。

但し、あまりにしつこかったり、名誉棄損等の具体的な被害があることが認められる場合は、法的措置も含めて厳格に対処した方がいいと考えています。

インターネット上の記録は、ログとして保存されており、事件性のある場合は、ログを公開請求できます。

たとえ相手が消したとしても、掲載されていた事実を記録しておけば、特定し証拠とすることは容易です。

もちろん、意見を言うことが自体が悪いことではりません。

普通のコメントはもちろん、建設的な意見をいただいたり、疑問のコメントをいただくときは、基本的に返信や、何等かのリアクションをさせていただいています。

しかし、最初から、否定で入ったり、表現が攻撃的で、相手へのリスペクトがないものについては、一切、返信はしていません。

意見を言っているようで、怒りをぶつけている可能性が高いので、関わりたくないからです。

インターネットで公開していることに対して、コメントや意見(?)には全て対応すべきだと言う意見もあるかもしれませんが、

政治家のような公人でもないので、お客さんも人間関係も、こちらには選ぶ権利があるというのが、私の考え方です。

プチ炎上を体験した話

何故、「無視」がいいと思ったかといいますと、実は私自身も「プチ炎上」の経験があるからです。

自分の投稿でなないんですが、X(旧Twitter)で、タイムラインで流れてきた投稿に、何気なくコメントしたことがありました。

内容がうろ覚えですが、たしか・・・

「子育てが忙しいのに、旦那さんは仕事ばかり協力してくれない」的な内容だったように思います。

私は、サラリーマン時代に、子育てや家事もやりたいのだけど、過酷な職場環境で、時間・体力・気力が消耗しすぎて、どうしてもできないという時期があり、悩んでいた経験がありました。

そのため、「ひょっとしたら、今、お互いに余裕がないということかもしれないですね。」といった主旨のコメントをしたところ、

「余裕がなければ何をしてもいいのか。」
「自分の機嫌やコンディションくらい自分で整えろ」とか、

私が言ってもいない内容を。勝手に偏向的に解釈して(認知バイアスと言うらしいです)、コメントにアンチコメントがたくさん投稿されてきました。

そのうち、それに対して
「〇〇さん(私のアカウント名)は、そういうことを言っていないはず」とか

何故か擁護のアンチアンチコメントがついたり(笑)・・・

だんだん
「これだから女は!(男は!)」という、全く関係のない議論をする人たちがいたり・・・

もともと何の話だっけ?

という感じに見えました。

2、3日、アンチコメント、アンチアンチコメント、アンチアンチアンチコメント・・・(以下同)

が投稿され続けていました。

その間、私も、もともとの投稿をした人ですら、何もコメントせず、静観していました。

そうしたら、雨が上がるみたいに、サーっと何もなくなっていきました。

私は思いました。

「この人たち、この話題に飽きたんだ・・・。」

下手にコメントしたら、もっと長引いたかもしれません。

この件で学んだことは、

  • 人は、認知がゆがんでいるので、一定の確率で、間違った解釈する可能性があること(認知バイアス)。それが、短い言葉のSNSでは起こりやすい。
  • 認知バイアスが働きやすい、SNSやインターネットでのやりとりは、議論むきではないこと。
  • そもそも、アンチコメントをしている人は、怒りをぶつける対象を探しているだけであり、議論をしようとも思っていないこと。

など、すごくリアルに感じました。

アンチコメントは書いた人にもかなりのデメリット

アンチコメントはリスクだらけ

しかし、そいういった、何かをバッシングしたような負のコンテンツは、不思議と同じようなエネルギーの人が集まってきます。

こういった理由から「インターネットは拡声器」と言われることがあります。

似たような考えを好む人を集めてしまうという意味です。

しかも、通常の方法よりも広くからです。

インターネットは、そういう側面が強いメディアです。

負のコンテンツをインターネット上に残そうとする人には、むしろ、そこから発生する負の連鎖の現象に恐怖を感じるときがあります。

また、アンチコメントをする人の多くは、「これは根拠のある正当な批判だ。」と言うことが多いようですが、

コメントした本人的に理由があっても、

相手の社会的信用を落としめようと意図するような、悪意のある表現とであれば、誹謗中傷であり、司法の場では名誉毀損罪や侮辱罪等とみなされます。

直接、相手のメディアに書き込んだ時点で公然の場で非難したことになりますし、自分のメディアに書き込んだとしても同様です。

書き込んだ相手のことを、少しぼかして表現しても、複数の情報からみて、容易に特定できるという場合も同様とみなされます。

つまり、本人的に理屈があっても、客観的にみれば、多かれ少なかれ訴訟リスクが発生してきます。

相手を貶めても、自分成功するわけでもなく、特にメリットがない、極めて非合理的な行動と言えます。

アンチはなぜ現れるのか

その人を目の前にして同じことが言えますか?

インターネットなどの手段を使って、誰かや誰かのやり方、誰かの作ったコンテンツなどを貶める人というのは、相手が生身の人間だと思っていないのだろうか?

と思うことがあります。

いや、誰でも普通に傷つくでしょ・・・と思うのですが、

インターネットという安全な場所(実際にはそうでもありませんが)で、言っていることが、本人を目の前にして言えるのだろうか?

何かコメントを投稿するときに、自分に対して問うてみてください。

「その人を目の前にして同じことが言えますか?」という問いに答えられなければ、間違いなく、これからやろうとしていることはアンチコメントです。

よく考えれば、誰でもわかりそうなことですが、やってしまうのは何故でしょうか。

非合理的でもアンチへ人を走らせる心理

多くは「嫉妬」と「投影」

では、冷静に考えると、かなり酷いことをしている、リスクも大きく、合理性もないというアンチ。

それなのに、どうして、人はアンチへ走るのでしょうか。

大きくわけて、「嫉妬」と「投影」と言えると思います。

嫉妬」は、イメージしやすいかと思います。

「悔しい」「羨ましい」という感情です。

正確に言うと、嫉妬に自分が気が付いていれば問題ありませんが、嫉妬していることを隠そうとすると悪い方向に出ます。

例えば、自分よりうまくいった人がいると、その人を認めてしまうと、現状の今の自分を否定してしまう、だから認められない⇒他人非難をしようという流れです。

嫉妬が起こったときに、自分を肯定することができなければ、

相手を非難するか(相手を攻撃する⇒アンチへ)、そのまま自分を否定する(自分を攻撃する)ということになってしまいます。

両者は、全く逆に見えますが、結局のところ自分を否定した結果として、他者を攻撃するか、自分を攻撃するかの違いだけです。

自分以外の人に大迷惑をかけるという意味では、私は根本的には同じ現象と捉えています。

この場合、それ以外の方法、嫉妬を自覚しつつも、自分のいいところを再度見直しながら、否定しかかっていた、自分を肯定するというのが、もっとも良い方法だと思います。

特にSNSは、うまくいったこと、ポジティブなことをダイジェスト版で載せている人が多いため、あたかもその人が、さらっとうまくいったように見えて、嫉妬を生みやすいのかもしれません。

私もSNSやブログでは、うまくいったことを中心にまとめています。

うまくいかなかったことも、そのまま書くと、愚痴のようになりそうなので、ある程度解決方法が見えてから、過去のこととしてまとめています。

ある意味、人生のダイジェスト版であり、その背景には、様々な失敗もネガティブもたくさんの試行錯誤もあります。

もし、この人、ポジティブにうまくいっていると思ってもらっているのであれば、ある意味が見せ方はうまくいっているのかもしれません

投影」というのは、自分を相手に投影して、怒りをぶつけている状態です。

例えば、自分のイヤだと思っている部分(否定している部分)、禁止していることがあった場合に、

相手がそれをやっていると、自分には実害がなくても、必要以上に憎くなるという状態です。

例えば、自分がお金のために自由に生きてはダメだと思っている(それが実現していない現在は自由にできないと思っている)と、お金の有無関係なく自由にふるまっている人がたまらなく嫌いになったりする現象です。

直接自分に何も関係ないにもかかわらず・・・です。

嫉妬も投影も使い方次第

誤解していただきたくないのは、「嫉妬」も「投影」も、それ自体が決して悪いわけではなく、人間性に問題があるわではなく、本当に誰にでも、ごく普通にみられる現象ということです。

大切なのは、それが起こった後、自分は今、自分を肯定できていない状態なんだとか、こんな風に感あえるクセがあるんだとか、これを禁止しているんだ・・・と、気づくことです。

それが、自分を苦しめているのであれば、それに気が付くことができ、気がづけば、認識や自身の誤解を気が付くこともできます。

何か成功した人に「嫉妬」した場合、それは、本当は自分がやりたいことであったりすることも多いため、やりたいことのヒントにもなります。

そして、それには、才能があることも多いです。

自分が手が届きそうだから、無意識にそう認識しているから「嫉妬」するわけです。

大谷選手やイチロー選手に嫉妬できる人は、相当、野球の才能も実力もあるのではないでしょうか。

日本人は足をひっぱりやすい?

少し残念な話ですが日本人は、少し「他人の足をひっぱりやすい」という傾向があるという、行動心理学の研究報告があります。

内容は長くなるので、省略しますが、その要因として言及されていたのが「公平世界バイアス」という認知バイアスの一種です。

認知バイアスというのは、ゆがんだ認知、「偏見」のようなものです。

人は、誰でも現象をありのままに認識することができず、何らかの色めがねで見ています。

それを心理学用語で認知バイアスといい、基本的なものだけでも20数種類以上あるようです。

「公平世界バイアス」とは、行動と結果が対応関係にあるというものです。

簡単にいえば、「いい行いをすればいいことが起こり、悪い行いをすれば悪いことが起こる。」といった認識です。

事実関係からは、必ずしもそうではないこともありますが(そのそも良い悪いは、相対的な評価基準でもあります)、日本、中国、韓国など東アジアの人が多くもちやすい認知バイアスとして、知られています。

分化や宗教観が影響するのかもしれません。

これらは、社会秩序を保つためには、役立ちます。

また、「努力すれば報われる」と信じることで、努力が継続することのモチベーションにもなります。

一方で、これらの公平を保つために、変わったことをする人や、たまたまうまくいった(と認識されている)人など、他人の足をひっぱることにつながります。

いわゆる「出る杭は打たれる」という要因になっています。

海外が必ずしも優れているわけではありませんが、同じような人たちで生活していると、考え方が固定がされてしまうので、異なった文化に触れて、逆に自分を認識することは大切に思います。

まとめ

少し、話が脱線してしまいましたが・・・・

アンチが発生した場合は、

まずは自分の気持ちを受け止めて、のケアを。

そして、基本的には「無視」(ただし、実害があれば、法的措置等も検討しましょう)。

という風に考えています。

私がブログを書いたり、SNSで投稿するときに、

批判的な内容は書かないようにしています。

「インターネットは拡声器」であり、内容の是非にかかわらず、批判的な人やコミュニティが普通に苦手だからです。

また、批判ばかりしていると、自分が何かを発信したときに、批判されるのではないかと考えるようになってしまいそうだからです。

自分の気持ちは、自由でいたいと思うからです。

社会的に話題になるためや、あえて、賛否両論の議論を生むように、戦略的に「炎上」を狙うやり方もあるようですが、とても私に無理だと思います。

自身の取り組みの紹介の中で、間接的にそれと対極的なやり方、それ以外のやり方を批判していると捉えられることも可能性としては、あるかもしれません。

しかし、あくまで、一つの意見、一つのやり方だという表現をできるかぎりはしているつもりです。

その分、メッセージ性は薄くなってしまうのかもしれませんが、それでいいと思っています。

それが、これまで、あまりアンチが発生していない、ことにもつながっているのかもしれません。

意見は違っても、人としてリスペクトできるコミュニティとつながっていたいと、いつも思っています。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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