脱サラ元公務員、現在はブルーベリー&パーマカルチャーの農園をやっています 神崎辰哉(かんざきたつや(@ttykanz) )です。
農園の名前は長野県安曇野市、北アルプスの山麓で「ブルーベリーの森あづみの」といいます。
最近、上の子(10歳♂)が宿題を大変そうにやっている光景をよくみかけます。
小学校も中盤ともなると、3桁の小数点の掛け算とか、面積とか・・・難しいことをやっているようです。
時々、教えていますが、大人がやってみると完全に「脳トレ」です。すぐ電卓かExcelを使いたくなる・・・脳への負荷が半端ない(笑)
大人のリハビリには効果がありそうですが、とても大変そうだと思いました。
学校の勉強は何でつまらないんだろう?と思い、自分なりにまとめてみました。
「目的のないこと」はつまらない
結論から言ってしまいますと、学校の勉強がつまらないのは「目的がない」からだと思います。
もちろん、学校側には学習のねらいや目的というのはあるはずですが、少なくとも、目的が子どもに共有されていない・・・
人間って(自分にとって)意味のないことって頑張れないようにできているから、ではないでしょうか。
もちろん、自分なりに意味をみつけて楽しめるケースもあるので一概には言えませんが、
ポケモンの名前はすぐに覚えられるのに、県庁所在地はなかなか覚えられないのは、おもしろい、つまらない、というよりは、自分にとって意味のある情報かそうでないかの違いだと思います。
必要になってから学ぶのが効率がよいと考える理由
大人になってからの勉強は楽しいと感じたことはありませんか?
自分が興味のあること、必要なことだと知っているからです。
あるいは、仕事などで必要になって、自分にとって役に立つことを知っているからです。
つまり自分にとって意味のあるタイミングで学ぶことは、苦痛を伴わない上に、エネルギーが半端ない・・・効率がいいんです」
私も、農業や自然を理解するために必要なことなどは、何の努力もしなくてもいつのまにか学んでいたり、
前職で測量設計の仕事をしていたときも、三角関数・・・神だ・・・・!と感動しました。
学校の勉強は、まだ必要でない、少なくとも自分では必要性を感じていない段階で、突然、練習がはじまるので、おもしろくないのは当然です。
子どもたちを見ていると、例えば、カブトムシを飼う、アゲハの幼虫を飼うとう時に、自分で図鑑でいろいろ調べて、インターネットでも検索して、必要なものを庭などから調達して、買うものは親に相談して・・・・と、すごいスピードで必要な知識を取得して、実践しながら学習しています。
(↑子どもたちが考えた「ライトトラップ」。光に虫が集まります)
そのエネルギーはやらされているときの何億倍なのだろうか・・・?と考えてしまいます。
「必要とするタイミング、学習するタイミングは人によって違う」
それを考えるようになってから、自分が何かを人に教えるとき、
例えば、後輩などに仕事を教えるとき、子どもに教えるときなどは、自分の教えたいタイミングではなくて、「相手が必要になるまで待ってから」教えるようにしています。
タイミングがわからなければ、雑談の中からその時にその人が必要としていることを、聞き取ることを大切にしています。
その方が効率がすごく良い上にお互いに気持ちよく、学ぶことができるからです。
もう一つ大切な「信じて待つ」こと
相手のタイミングを待つことで、もう一つ大切なことがあります。
それは「信じて待つ」ことです。
これはなかなかむずかしい、心配だと、よけいな口出しをしてしまうからです。
ただ、その心配は、意外に自分の内面からきていることも多く、自分を信じられない時に、相手も信じられない、ということが多いように思います。
そういう意味では自分をよい状態に保つこと、それでも心配なら、「ただただ心配なので・・・」と正直に伝えてしまった方がまだいいかもしれません。
「あなたが悪いのではなくて、私が心配なので私の問題に協力してください。」という主旨を正確に伝える。
勝手に相手に「問題」を作らないことが大切だと思います。
でも、基本は「信じて待つ」。
よけいなことしない。
まるで、ブルーベリーの「ど根性栽培」みたい・・・
それも、老子の「無為自然」なのでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
※「にほんブログ村」のブログランキングに参加しています。 よろしければ、画像をクリックしていただけるとランキングに反映され、励みになります。