足るを知ることの本当の意味~我慢することではない?~ vol224

脱サラ農業・起業
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脱サラ元公務員、現在はブルーベリー&パーマカルチャーの農園をやっています 神崎辰哉(かんざきたつや(@ttykanz) )です。

農園の名前は長野県安曇野市、北アルプスの山麓で「ブルーベリーの森あづみの」といいます。

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インスタグラムもやってます。

あなたは「足るを知る」と聞いて、どんな感情をいだきますか?

私は、以前は「身の程を知りなさい」とか「贅沢は言わないで」とか、何となく押さえつけるような印象をもっていました。

もちろん戒め的な意味もあるのかもしれまえせんが、私がよく参考にしている「老子」や「道(Tao)」といった視点から見ると少し違うニュアンスになるようです。

今回は、「足るを知るの本当の意味」について書いてみました。

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足るを知るは「ありのまま」を知るということ

結論から言うと、「老子」的に見た「足るを知る」とは・・・

「自分以外のものになろうとしない、ありのままでOKなんだよ。」ということになります。

「老子」の著書「老子」(著書も老子です)の中では無為自然という言葉がでてきます。

「無為」とは何もしないことではなく「余計なこと」をしないという意味になります。

ここでいう「余計なこと」とは、自然に沿っていないということです。

老子は宇宙、この世界を作っている源やそのものを「道(Tao、タオ)」と呼んでおり、自然を観察することで、Taoに沿った生き方を提案しています。

それが「自然」です。

この世界を作っている、源になっているものを自然から学んで、自然に沿わない余計なことはしないというのが「無為自然」の基本的な考え方です。

何者かになんてならなくてもいい

そして・・・

その人らしさ、本質に沿わない生き方はしないというのも「無為自然」の一つです。

老子的にみた「足るを知る」とは、自分はありのままでOK。それが自然なことで、宇宙の流れに沿っている。だから無理して自分以外のものになろうとしないでいいんだよ。

とやさしく教えてくれているのです。

私が子どもの頃に受けてきた(と思っている)教育は全く逆でした。

皆一律に勉強などをがんばって、何かのスキルを身に着けたり、その結果オトナになって「何者か」になれる・・・・という発想です。

それはある意味では、現時点を否定していることです。

しかし、そもそも宇宙が私や皆さんを生み出したのは、理由があり、必ず皆才能をもっています。

それは一人ひとり違って、多様性があります。

子どもの才能と私の才能は違います。生き方も違います。

私が、親として子どもたちに唯一できることは、お互いの才能を認めて、なるべく「自然に」生きる。これからもお互いがどうやったら自然な生き方ができるかを日々模索していくことだと考えています。

自分の農業のスタンスや「ど根性栽培」の関係

私がとりくんでいる農業は、「足るを知る」、つまり植物がありのままで無理なく育つことのできるやり方を目指しています。

適した土壌や気候、時期、育て方、を選び、健康に育ってもらいそのエネルギーを分けてもらう。

病害虫がいても全体としてはバランスがとれている・・・・。

そのために観察を大切にし、作物が一番喜ぶのはどんな状態かをよく考える。無理をさせない。

生物どうしのつながりを壊さないよう、人為的な働きかけも最小限を探る・・・

農園のブルーベリーの栽培方法は「ど根性栽培」と呼ばれる、ブルーベリーに過度に干渉せずに、適した場所に植え、そのものの潜在能力を引き出す栽培方法です。

 

また、ブルーベリー以外の作物についても、環境に適した植物を選び、潜在能力を最大限に発揮してもらえるような栽培を日々模索しています。

私に唯一できることは、 ブルーベリーをはじめとした作物をよく知り、自然をよく知り、あるがままに活きやすい環境を整えていくことかもしれません。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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