脱サラ元公務員、現在はブルーベリー&パーマカルチャーの農園をやっています 神崎辰哉(かんざきたつや(@ttykanz) )です。
農園の名前は長野県安曇野市、北アルプスの山麓で「ブルーベリーの森あづみの」といいます。
有機JAS認証を取得した「オーガニックブルーベリー」を栽培しています。
私は、ブルーベリーやその他のフルーツ、ヘーゼルナッツも、野菜もハーブも農薬使わずに育てています。
ただ、正直なところ、ずっと前から、「無農薬」という用語が少しだけ苦手だったんです。
自分の商品・サービスをわかりやすく伝えるために、「無農薬」という言葉を使用することはあります。
イメージしやすい一般的な用語になっているため、伝わりやすいと考えているためです。
特に、タイトルや見出しなどでは、短く、端的に伝えることが大切です。
その場合は、「伝わりやすさ」を優先しているのであって、個人的にはこの用語には少しだけ、苦手意識があります。
その理由について書いてみました。
「無農薬」とは何なのか?
む‐のうやく【無農薬】
植物を栽培する際に農薬を使わないこと。「無農薬野菜」「無農薬農法」
(デジタル大辞泉 https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1%E8%BE%B2%E8%96%AC-642217)
「無」+「農薬」で「無農薬」といっています。
どちらかというとネガティブな用語に「無」をつけることで、反対によい意味となっています。
無化学肥料も、同様だと思います。
「完全無農薬」という用語をみかけることがありますが、「無」か「有」しかなく、完全も不完全もないような気がしています。
なお、食品表示法や同基準では、「無農薬」という表現は禁止されていますので、
同法の対象となる、店舗などで不特定多数のお客さんに販売する場は表示に注意が必要です。
特別栽培農産物のガイドラインに基づく「栽培期間中農薬不使用」や、有機JAS規格に基づく「有機〇〇」等の表現になります。
農作物の場合、種や苗、それに使われる用土、投入される資材など、どこの時点まで農薬を使っていないかが、あいまいにならないように、これらの制度は「保証する範囲」を定義しているとも言えます。
「無農薬」という表現があまり好きではない理由
「無農薬」という言葉は、農薬を使わないことが環境や健康にいいことというニュアンスを含んでいると言えます。
化学物質に限らず、人為的に物質を環境に投入することは常に一定のリスクがあり、農業も例外ではありません。
化学合成された物質は、他の面に悪影響があったり、速効性があったり、微量でも影響が大きかったり、という側面があります。
天然由来の物質でも、有機肥料の他投入などで、地下水が汚染されたりと、量や用途によっては、やはり環境へのリスクがあります。
農薬は、生物を殺傷するといったイメージから、人間にも影響があるだろうとイメージしやすいです。
しかし、実際には、生物によって、物資への反応や問題となる量は違うので、一概には言えません。
物質は量によっては、有益にもなるし、害になるものがほとんどだからです。
有機肥料の他投入の方がはるかにリスクがあることもあるようです。
農業は人為的な行為ですが、作物を育てるときに太陽の光、土壌、水、微生物など生物のつながりを活かすことがとても大切だと思っています。
植物工場などの技術の進歩もありますが、特に生物のつながりの部分は、解明されていないことも多く、土壌環境などを再現するのは不可能ともいわれています。
化学合成農薬または化学合成肥料は、その「生物のつながり」を壊しやすいものです。
私が農薬を使っていない理由はここにあります。
しかし、農薬を使わないことも、肥料を少なくしたり、無肥料で育てることも、それ自体が目的ではありません。
生物の循環の力を壊さず、利用させてもらう。
そのために、結果的に、肥料や農薬を減らしたり、使わないことになっていく。
さらにその結果、健康な作物ができ、収穫物の栄養価や食味があがる、という形を目指しています。
以前働いていた農業法人で、農薬の散布が一番いやな作業でした。
暑い時期にカッパを着てひたすら散布するのも重労働でしたが、害虫以外にも、クモがいなくなってしまったり、生物のつながりの世界を壊してしまう怖さを感じたためです。
自分で農業をやるときは、農薬を使わないようにやろうと思った経験でした。
否定表現が苦手なだけ・・・
そもそも、私は、「無〇〇」のような、何かを否定することで、優位性や正しさのようなものを主張する表現が少し苦手なのかもしれません。
昔、環境系の農業セミナーに行ったところ、参加者の中に「正しい野菜は・・・」といっている人がいて、心の中でドン引きした記憶があります。
私は、自分が好きな農業にまで、「正しい、正しくない」というものをもちこみたくありません。
全ての農薬が本当に人間に体に悪いのか、正直、私にはわかりません。
世の中には、食品添加物など、もっと危険そうなものもたくさんあります。
普通に飲んでいる、病気の薬も、副作用のないものはほとんどありませんし、量によっては毒になります。
『有機』の由来は天地有機?
『有機』という言葉はどうでしょうか。
有機JAS認証をとるときに、有機という言葉を調べたことがあります。
有機はオーガニックという言葉の日本語訳ですが、由来は定かではないそうです。
「天地有機(てんちゆうき)」という言葉からきているという説があります。
「天地」はこの世界(宇宙)のこと、「機」はしくみ(システム)。
天地の機有り(てんちにきあり)、すなわち、「この世界には(自然の)しくみがある」という意味になります。
そういう意味では、有機農業は、ヨーロッパなどで使用される、BIO(ビオ=生物)農法のイメージに近いかもしれません。
単に、有機物や有機肥料を使うという意味ではないようです。
有機JASの認証の思想でも、基本的圃場での天然由来の物質などを利用して、やむを得ない場合に、他所からもちこむ、肥料などを使うということが原則となります。
諸説ありますが、私はこの「天地有機」説が好きです。
まとめ
生物のつながり意味の「有機」であれば、私が目指しているのは「有機」「オーガニック」なのかもしれませんし、「自然農法」といった言葉にも近くなるのかもしれません。
「無」(農薬)で否定するのではなく「有」(機)でしくみを肯定しているのが、特に好きなポイントです。
私もお客さんにわかりやすく説明するために、「無農薬です」という言葉を使うことはありますし、ブログやSNSでも、わかりやすさを重視するときには書いていると思います。
「脱サラ」とう言葉も、同様に、なんだかサラリーマンが脱出しなければならないような辛いもののような気がして、実はちょっと苦手です。
楽しんでサラリーマンやっている人だっていっぱいいます。
でも、私の経歴がイメージがわかりやすいように、「脱サラ〇〇」の表現を使うこともあります。
表現は、自分や、自分の商品やサービスなどを紹介するためのもので、法令などのルールに反しない範囲で、好きなように、お客さんにわかりやすいようすることが大切だと考えています。
「無農薬」という用語そのものを、否定しているわけではないことは、何卒ご理解いただければと思います。
ただ、個人的に「無〇〇」、「脱〇〇」という用語は、実はちょっとだけ・・・苦手なだけなのです。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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