脱サラ元地方公務員、ブルーベリー農園経営者。かんざきたつや(@ttykanz)です。
農業を目指した理由、脱サラの経緯、農園のコンセプトなどは、下記のプロフィールページ又をご覧頂けるとうれしいです。
最近、たまたま家にいたときに、某宗教の方が布教活動(?)で自宅に来ました。
その内容自体には、興味をもてなかったので、丁重にお断りしました。
私は無宗教ですし、宗教論争をする気もさらさらありませんが・・・・
少し、思う部分があったので書いてみたいと思います。
起こっている現象そのもは何も意味も意図もない?
ポジティブな思考が良いとされていた時代には、物事のポジティブな面を捉えて「どう前向きに考える」とか、という議論がされていました。
実際には、ポジティブとかネガティブという2極論だけではなく、同じ現象が起こっても、すごく人によってとらえ方が違うことは、よくあります。
(参考記事)
したがって、私は、現象そのものには、「意味も意図も何もない」無色透明のようなものだと捉えています。
極論を言えば、人というフィルターを通して、初めて世の中に存在すると言えます。
光を物質にあてて、はじめて目に見えるようになるのと似ています。
信じればそれしか現実をゲットしない?
では、人の「フィルター」はどのように作られるかと言えば、自分がどのような信念をもっているか、すなわち、「何を信じているか」から起因しています。
人は信じていることを、証明したがる傾向があるので、
例えば、「自分はモテない」という信念を持っている人は、自分はモテない理由をより多く収集することになります。
政治家やお金持ちは悪い奴だという信念があれば、そういうセンサーが働き「悪いことをしているお金持ち」をより多く探し出してきます。
自分自身を形作っているのは、自分自身へのイメージ(=セルフイメージ)だと言えます。
様々な、自己啓発の手法で、「セルフイメージを書き変える」という方法がとられるのは、ここにあると考えられます。
自分のセルフイメージにそった「根拠」をより多く探し出し、「ほらやっぱり・・・」と証明したがります。
人間性とか知識の有無ということなどは全く関係なく、単純な「仕組み」です。
自己啓発などで採用される多くの手法では、この仕組みを利用して、セルフイメージをよりその人らしいものにしていくことで、人生の質を豊にするといったことがされるのはここに理由があるのではないでしょうか。
信じるものは救われる?
「信じるものは救われる」という言葉がありますが・・・
正解でもあり、間違いでもあると言えます。
何らかの「超常現象」によって、救済されるという点では、確実性はなさそうです。
むしろ、その人のやりたい生き方にそった信念をもっていれば、そのような現象をより多く捉えて幸せに生きられそうですし、そうでなければ、ちょっと苦しい人生になりそうです。
布教活動にきた方々は、もし、自分の幸福の方向性にあった信念をもつことができているのであれば、やはり「救われて」いるのでしょう。
まとめ
どうせ、現象に意味がないのであれば、
自分が感じたい日常の感情や過ごしたい時間、やりたい人生にフォーカスした、信念、捉え方にしていきたいと思っています。
現実に目を背けるというよりは、現実≒捉え方 ということであれば、自分自身が現実をつくっている、すなわち答えは自分の中にあるということでしょうから・・・・
今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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