それって今あなたに必要?~草野球から見る「必要条件」と「十分条件」~vol624

脱サラ農業・起業
スポンサーリンク

脱サラ元公務員、現在はブルーベリー&パーマカルチャーの農園をやっています 神崎辰哉(かんざきたつや(@ttykanz) )です。

農園の名前は長野県安曇野市、北アルプスの山麓で「ブルーベリーの森あづみの」といいます。

かんざきたつやのプロフィールページを見る

「ブルーベリーの森あづみのホームページ」をみる。

インスタグラムもやってます。

YouTube動画をみる

⇒LINE公式アカウントはこちら

何かをやろうとするとき、私たちは、無意識のうちに、必要なものを選択しています。

しかし、何故か「必ずしも必要ではないもの」が紛れ込んでくることがあります。

時間も人生も資源も、いろいろなものは有限であり、何かをすることは、何をやらないかを選択をすることであるとも言えます。

そうは言っても、断捨離が最初難しいように、「捨てること」は難しいことでもあります。

そんな迷ったときにとっても便利な「必要条件」と「十分条件」という考え方。

私の草野球の経験から(?)、解説します。

スポンサーリンク

草野球が成り立つのに「必要な条件」

草野球のピッチャーをやって気が付いたこと

私は、中学と大学で野球をやっていました(高校の頃は音楽をやっていました)

社会人になってから、職場の親睦やクラブ活動(?)、町内の親睦などで「草野球」をする機会がありとありました。

年齢的に比較的若いことや、一応、野球経験者であることから、ピッチャーを頼まれることが多くありました。

私は、学生の頃は野手だったので、ほとんどピッチャーはやったことがなかったのですが、最初の頃は速いボールを投げようと、力いっぱい投げていました。

しかし、ストライクが入らない・・・・。

これはマズイと思い、試合の中でやり方を変えて、6~7割くらいの力でストライクを投げることを優先することにしました。

そうしたら、ほとんど点をとられなかったんです。

みんな何故か打ち損なってアウトになる。

何でだろう?と静かな驚きでした。

草野球はほとんど、「軟式ボール」という、中が空洞のゴムでできたボールを使います。

一見、ゴムの反発力でボールが飛びそうですが、ボールが変形しやすいため、しっかりとボールの中心を撃ち抜かないと、打球が前に飛びにくい特徴があります。

(レクリエーションなどでよく使われる軟式ボール。軽くお手軽だが、変形しやすいため、実は、前に飛びにくい)

プロ野球や高校野球などで使われる「硬式ボール」の方が実は、ジャストミートしなくても、前に飛びやすい特徴があります。

(高校野球やプロ野球で使われる硬式ボール。重く硬いが、変形しにくいため、前に飛びやすい)

そういう意味では、一見お手軽な軟式野球の方が、実はヒットやホームランが打ちにくい競技と言えます。

加えて、人間の視覚は、縦の変化の方が捉えにくい性質があるため、山なりにふわっとくるボールをしっかり捉えるのは相当に難しいことです。

野球のバッターは、打席に立った回数の3割を打てれば、いいバッターと言われ、逆に言えばよくて7割は失敗しますので、もともと、失敗しやすいことがさらに失敗しやすくなります。

つまり、親睦の大会レベルの草野球であれば、山なりのゆっくりしたボールを、ストライクゾーン付近に投げておけば、相手が勝手に打ち損なう。

勝手にミスショットをする確率の方が高くなるということです。

その後、そういった視点で、こういった類の草野球の試合をよくみていると、ホームランやヒットが出て点が入るよりも、

フォアボールやエラーで点が入ることの方が多いことに気が付きました。

逆にいえば、ストライクを確実に投げるピッチャーと普通の守備ができる野手がいれば、けっこういい勝負ができます。

草野球のピッチャーが本当にやるべきこと

それ以来、ピッチャーをやる機会があるときは、無理をせずに、確実にストライクを投げることだけに特化し、一試合でも1個、2個くらいしかフォアボールを出さなくなりました。

もちろん打たれることもありますが、実際は連続で打たれなければ点はとられにくいです。

フォアボールで、試合が間延びすることもなく、適度にバットに当たるので、動きのある試合になり、レクリエーションとしてもいい感じです。

高校野球経験者など、上手い経験者がいても、レクリエーションの草野球では相手チームが全員強敵ということはありません。

よほど全体のレベルの違いがない限りは、試合としては成り立つことの方が多かったように思います。

「ストライクゾーン付近にボールが投げられること」これはレクリエーションで野球をやる場合にピッチャーに「必要な」条件だと言えます。

ちなみに、県庁にいたときに労働組合の大会で、地元の市役所と対戦したときは、打たれまくって15点くらいとられて負けたことがあります。

これは地元の市役所には地元の強豪校の野球経験者がほとんどで、競技レベルそのものが違いました。

レクリエーションでの野球の中では例外と言えます。

このように、競技のレベルが上がってくれば、「必要な条件」も徐々に変わってきます。

考えてみれば当たり前のことです。

しかし、私たちは何故か、最初からプロレベルのことをイメージして、「ピッチャーは速いボールを投げて三振を狙わなければならない。」といった、

素人の草野球では、およそ必要でない条件をイメージしてしまうことがあります。

必須な「必要条件」と必ずしも要らない「十分条件」

学生の頃に数学で「論理と集合」という単元で「必要条件」と「十分条件」というものがありました。

「B」が成り立つためには少なくとも「A」が絶対に必要なとき、AをBの「必要条件」、BをAの「十分条件」であるといいます。

AならばBが 成り立つとき(数学的には「真であるとき)
●AはBの必要条件である
●BはAの十分条件である

(AがBの必要条件であるとき、BはAに含まれる。BはAの十分条件(より狭い条件))

当時はそんなもんかな・・・という程度の話ですが、

具体的にブルーベリーを例にとれば。

ブルーベリーであるためには、少なくとも「果物」であることが必要なので果物であることはブルーベリーであることの「必要条件」です。

一方、「果物」であることが成り立つには、ブルーベリー以外にも果物はたくさんあるので、「果物である」ためには「ブルーベリーである」というのは「十分すぎる条件」です。

ブルーベリーであることは果物であることの「十分条件」であると言えます。

(ブルーベリーであるためには少なくとも果物である必要がある。果物はブルーベリーである必須の「必要条件」)

この「必要条件」と「十分条件」という考え方は、ものごとを分類し、方向性を整理するときにとても役に立ちます。

前述の草野球の例で言えば、

レクリエーションの草野球の試合が気持ちよく流れるための「必要条件」の一つは「ピッチャーがストライクゾーン付近にボールを投げられること」であると私は結論づけました。

ピッチャーというと、プロ野球のように「『速い』ボールを投げられること」をイメージしがちですが、速いボールを投げても、ストライクゾーン付近に投げられなければ、フォアボールばかりで試合にならないので、必要条件ではないことがわかります。

ちなみに、複合化して「『速い』ボールをストライクゾーン付近に投げられること」は必要どころか、十分すぎる条件を満たしているので、「十分条件」であると言えます。

より競技レベルの高い、経験者だらけの大会などになっていけば、ピッチャーが「『速い』ボールをストライクゾーン付近に投げられること」がないと試合にならないこともあるので「必要条件」になっていきます。

さらにプロなどで競技レベルが上がれば、今まで十分条件だったのが「必要条件」になっていきます。

競技レベル必要条件十分条件
プロ野球ストライクゾーンに速い球や変化球が投げられるキレや球速のある球がコントロールよく投げられる
草野球ストライクゾーン付近に投げられるストライクゾーンに速い球が投げられる
(競技レベルによって「必要な条件」は違う)

目的に対して必要なことを分類する上で、「必要条件」(最低限必要なもの)、「十分条件」(あったらよりいいが、目的には必須でないもの)と分けられることがわかります。

●必要条件
 目的達成のために必ず「必要なもの」

●十分条件
 目的達成のために、あった方がよりいいかもしれないけど「必ずしも必要でないもの」。
あれば「十分すぎる」もの。

「分類」するのは「全てのことはできない」から

どうして分類することが必要なのでしょうか?

それは、「全てのことはできない」からです。

時間にも労力、体力、資金など、世の中のものは全て限りがあります。

当然ながら、全てのことはできません。

だからこそ、
「自分の目的」を明確にして、「必要条件」を中心に実行していく必要があります。

私が、2021年に初めてブルーベリー観光農園をオープンしたときに、

「あれもできていない。」「これもできていない。」という気持ちで焦っていました。

(2021年のオープン時。今思うとブルーベリーが小さいです)

少ないながら美味しいブルーベリーができていたので、

あとは、最低限の「必要条件」は、暑さをしのぐレストスペース、トイレ、駐車場があれば、観光農園が始められる状況だったと思います。

当初、その年は、ブルーベリーを中心とした、自分のビジネスのスタートアップや集客などの経験を積むことが一番の目的でした。

しかし、不安から、著名な観光農園など他者と比較して、「これが無い」「あれが無い」ということばかり考えて焦っていました。

当時は気が付きませんでしたが、目的に対しての「必要条件」は何なのか、と考えることで、一旦立ち止まり・・・・

必要でないことに何で固執していたんだろう⇒不安だからかな?⇒そりゃ初めてだもんね!

という整理ができれば、何となく気持ちが安定できたのかな、と今更ながら思うことがあります。

十分条件はやってはいけないわけではありませんが、とらわれすぎると、気持ちが追い詰められたり、完璧主義に陥ってしまう恐れがあります。

「ベストを尽くす」ことの本当の意味

私たちは、何故か「全力でベストを尽くす」ということを子どもの頃から刷り込まれています。

しかし、本当に全部をがんばることはできません。

時間もエネルギーも、全てのことには限りがあるからです。

正確に言うと「ベストを尽くす」というのは、それぞれの目的に対して、

達成するためには、時間・量力・エネルギー・資金などの制限つきの条件がある中で、

必要なこと考えて、選択し実行するという意味ではないでしょうか。

そんなときに、今の段階での「目的」に対して「必要条件」なのか「十分条件」という問いかけ、フレームワークは本当に役に立つように思います。

「目的」「最低限必要なもの」がわかれば心にも余裕ができます。

その結果として、「十分条件」だったものまで、楽しみながら達成できてしまうこともあるかもしれません。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

※「にほんブログ村」のブログランキングに参加しています。 よろしければ、画像をクリックしていただけるとランキングに反映され、励みになります。

にほんブログ村 ベンチャーブログへ

にほんブログ村

タイトルとURLをコピーしました