脱サラ元公務員、現在はブルーベリー&パーマカルチャーの農園をやっています 神崎辰哉(かんざきたつや(@ttykanz))です。
農園の名前は長野県安曇野市、北アルプスの山麓で「ブルーベリーの森あづみの」といいます。
うちの農園のコンセプトは、「無為自然(むいしぜん)な優しさ」です。
農園のコンセプトというよりは、実は数年前から私の生き方そのもののコンセプトでした。
簡単にいえば「自然とつながり、自分らしく生きる」ということになります。
詳しく書いてみたいと思います。
※ちなみに、ブログのタイトルも今回から、無為自然な農業日記に変えております。
無為自然にであったきっかけ?
「バカボンのパパと読む老子」がきっかけ
「老子」に出会ったのは、本当に偶然、ドリアン助川さんの著書「バカボンのパパと読む老子(角川マガジンズ)」を図書館で何の気なしに手に取ったのがきっかけでした。
正直なところ、それまで、社会の授業でちょっと、でてきたな~くらいの認識しかありませんでした。
しかし、バカボンのパパのキャラクターがちょっとふざけたこといってるのに、中身は、大真面目で、なんだか自分がぼんやり考えていた部分がすっきり説明されたような・・・・そんな感じでした。
自然から学びその摂理に沿うこと
古代中国の思想家である「老子」の著書「老子」(著書の名前も老子です)の中では「無為自然(むいしぜん)」という言葉がでてきます。
「無為」とは本当に何もしないことではなく「余計なこと」をしないという意味になります。
そして、ここでいう「余計なこと」とは、不自然なこと、自然に沿っていないことをしないという意味です。
老子は宇宙、この世界を作っている源やそのものを「道(タオ)」と呼び、自然を観察することで、道に沿った生き方を提案しています。それが「自然」です。
この世界を作っている、源になっているものを自然から学んで、自然に沿わない余計なことはしないというのが「無為自然」の基本的な考え方です。
農業での「無為自然」ってなんだろう?
自然の生態系の中で植物が育つことは、多種多様な植物が助け合ったり、競争したりしながら、環境の変化とともに、生育し、いつかは枯れて、たくさんの生物のつながりの中を循環していくことです。
しかし、農業という行為は、特定の、人間に有用な植物のみ、(できればちょうどよい量を、ちょうどよい時期に)育てる行為です。
そういう意味ではすでに、不自然です。
しかし、植物が生育するために必要なものは、太陽の光、微生物、土など自然の力、まだまだ人間には解明できていない複雑なしくみ、自然の摂理によるものです。
そうであるからこそ、自然をよく観察し、学び、対話しながら、なるべく余計なことをしないように、作物の生育を助けていくことを大切だと考えています。
そして、ゆったりと自然とのつながりを感じる観光農園を作りたいと思っています。
あるがままに活きていいんだよということ
少し、農業の話から離れますが・・・
無為自然という言葉は
自分はありのままでOK。それが自然なことで、宇宙の流れに沿っている。だから無理して自分以外のものになろうとしないでいいんだよ。
とやさしく教えてくれているのだと思っています。
私が子どもの頃に受けてきた教育は全く逆でした。
みんな一律に勉強などをがんばって、何かのスキルを身に着けたり、その結果オトナになって「何者か」になれる。
だからそれに向かって努力しなさい・・・そうすれば「まともなオトナになれるから」・・・という考え方が強い時代だったのかもしれません。
実際にオトナになってみれば、賢くなったふりをしても、その先に本当の自分の世界はありませんでした。
宇宙が私や皆さんを生み出したのは、理由があり、必ず皆、豊かな才能をもっています。
それは一人ひとり違って、すごく多様性があります。
私の子どもの才能と私の才能だって全く違いますし、その生き方も違うはずです。
一律には語れません・・・
私たちが、子どもたちに唯一できることは、お互いの才能を認めて、なるべく「自然に」生きる。これからもお互いがどうやったら自然な生き方をし、その才能で活き活きと人生をおくれるのかを日々模索していくことだと考えています。
まとめ
自分らしさとは何なのか、まだまだ迷うことがたくさんあります。
人と比較してしまうこと、卑屈になったり、嫉妬なんかも、普通にあります(笑)
しかし、そんな自分もちょっと笑いつつ・・・・自然から学び、自分をよく知ることも人生のおもしろさでもあるかもしれませんね。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
(↓バカをつらぬくのだ~バカボンのパパと読む老子(実践編)~もおすすめです)
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