脱サラ元公務員、現在はブルーベリー&パーマカルチャーの農園をやっています 神崎辰哉(かんざきたつや(@ttykanz) )です。
農園の名前は長野県安曇野市、北アルプスの山麓で「ブルーベリーの森あづみの」といいます。
子育てをしていると、実は子どもたちは本当にいろいろ悩んでいるのだと感じます。
その大きなものの一つが「他人(親)の期待に応えること」ではないかと思います。
親に「幸せになってもらいたいから」期待に応えようとする
子どもと話しているときに、ときどき気になるのは「でも、やらなければいけない・・・」という言葉です。
「やるべきこと」としての認識。
一見、優等生的な発言ですが、一方で長期的には危険性も含んでいると思います。
「やるべきこと」に追われて、「やりたいこと」がわからなくなるためです。
人間って、やりたいこと以外はあまりできないようにできているようで、やりたくないことをするにはかなりのエネルギーが要ります。
あるいは、感情をある程度麻痺させないとできない場合もあります。
やりたいこと、とやりたくないことを感じる心の中の部分は全く同じなので、
この状態が長すぎると、だんだんと、「自分が何をやりたいのかわからない。」状態になります。
これは、私が長年かけて実際に経験してしまい、痛感していることでもあります。
本当に小さな子どものころは、わがまま放題そんなこと考えもしなかったと思います。
まさに「我がまま=あるがまま」に生きていたわけです。
しかし、ある程度成長し、まわりのことを気にするようになってくると、大人が期待していること、がなんとなくわかってきますし、
大人におこられるケースもあります。
そのため、「他人が期待すること」を 「やらなければならない」と考えるようになるのは自然かもしれません。
子どものころは大人の保護が生存のために必要だという部分もあるかもしれませんが、
子どもだった自分の視点に戻ってみると、「親にに幸せになってほしい」と思っているのではないかとも思います。
それはすれ違いなのかもしれないけど・・・。
期待に応えなくても幸せだと伝えたい
もしかしたら、日々の大人の都合で「こうしてほしい」はお願いするかもしれないけど、
基本的には自分はもう十分幸せなのだから、好きなように生きてほしい。
他人よりも「自分自身の期待」に応えてもらいたい。
子どもが自分の考えているとおりにならなくても、それもまた幸せなのだと、伝えたい。
それは、言葉ではなくて、自分の人生にむきあって、幸せを受け止めながら生きる。
そういう姿から伝わるものではないかと思います。
自分は十分幸せだし心配ない、そう日々感じることで、
子どもたちに対しても、「心配ない、信頼している。」
と伝えていきたい。
子のころの自分にも、教えてあげたい、伝えていきたい・・・。
そんなことを思っています。
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